家づくり

先駆的取り組みと地域密着でかなえる
東北で愛される「あったかい家」

日本木造住宅産業協会様発行の「木芽」Vol.157(2015.秋)連載「頑張る会員企業訪問記」にて弊社の取り組みをご紹介いただきました。

記事の一部を抜粋して掲載しています。

時代に先駆けた「エアサイクルの家」

東北で暮らすために必要な、住まう人を心地よく包みこむ「あったかい家」。

そのニーズに応え続け、創業40周年の実績を持つ菅原工務店は、地元ではすでに「省エネで住む人にあったかい家」の代名詞となっている。

創業者である初代社長が職人として木工事の下請け事業から始めたという同社。今も受け継ぐ「あったかい家」を実現する高性能な住まいへのこだわりは、創業当時から続くものだ。そのこだわりを生むきっかけとなったのは、 前社長が独立前に職人として、住まいの建て替えやリフォームのための解体現場でたびたび目にした光景だった。そこには、長年湿気にさらされ、カビくさく老朽化した構造躯体の姿が。これでは住まいが長持ちするはずもなく、省エネ性能や気密性能を発揮できるわけもない。人生の大半を過ごすはずの住宅の中身が、このような状態では、そこに暮らす人の健康にだって影響がないわけがないと胸を痛めた。

こうした現状を打開したいという想いを抱えたまま独立後数年たったある時、画期的な工法に出会う。当時まだ新工法だった『エアサイクル工法』だ。この工法では、構造内に通気層を設け、これまでとじこめられていた壁体内や小屋裏の空気を動かすことができた。当時はまだまだ新しい工法で、知名度も普及率も低かったものの、この工法なら上手く自然のチカラを活かして住まいを長持ちさせることができると考え、即刻採用するに至った。

以来、他社に先駆けて「エアサイクルの家」を数多く手がけ、地元ではエアサイクル工法と言えば菅原工務店というイメージが確立され、まずは念願だった自然のチカラを活かした、長持ちする家を実現したのである。



キーワードは「太陽」

エアサイクルの家を確立した菅原工務店が次に手掛けたのがオール電化の家である。今から17、8年程前のことだというから、こちらもかなり時代に先駆けた取り組みだったと言える。

東北地方の家では暖房機器が活躍する期間は長く、半年以上にわたって使用される。その寒冷地の環境の中で喜ばれる家を考えるとき、快適性と暖かさは切り離せない。つまり暖房効率が重要になってくる。さらに省エネ性や光熱費の問題も考慮してオール電化の家が有効だと考えたのである。長持ちする家、暮らす人の健康を妨げない家、そして東北の家に相応しい暖かい家。エアサイクル工法もオール電化の家も、地元エリアでお客様に喜んでもらえる住まいの形をシンプルに突き詰めた結果、必要な技術だったのである。さらに外断熱の自社工法も開発。現在の主力商品として成長してきました。

そして、次に必要となった技術がソーラー発電。オール電化の家が電気系統で機能することを考えて、最終的に元手がただのクリーンエネルギーである降り注ぐ太陽の力で自給自足ができれば理想的だと考えたのだ。こちらも13年程前には本格的な事業として取組み始めた。

さらに、この取り組みには、地元で信頼される工務店としての大きな責任感が込められていたと菅原社長は語る。

「当時、ソーラー発電の販売会社は立ち上げても長く続かないところが多く、信頼できるかわからない訪問販売の会社なども数多くありました。手荒な販売方法の業者もたくさんあり、そうした中でせめて自社のOBさんだけでも守りたいという想いが強かったんです。ですから、しっかりとしたルートとサービスでソーラー発電を地元の方々に提供できるよう、独立した事業部を立ち上げてソーラー発電販売を手掛けることになりました。」

地元で愛され喜ばれる家をシンプルに追求した結果、太陽や風といった自然のチカラを活かす家づくりに、太陽のエネルギーを使って電気をつくるソーラー発電と、気がつけば「太陽」が菅原工務店の事業の大きなキーワードとなっていたのである。


スタッフ
モデルハウス「CASATA II」
夏の感謝祭

ソーラー発電から広がる世界

菅原社長が家業を継ぎ、同社に入社してから2、3年ほどたったころだった。まだ社歴は浅いものの中心的存在となってこの事業を軌道に乗せる役割を課されていた。今でこそソーラー発電や自家発電と言ったキーワードが当たり前のようになっているが、当時は採算が合わない、まともに売っても売れないと、あきらめて手を引く業者も多かったという。そんな中、10年程前には京セラのフランチャイズという形で事業を本格化。5年程前には仙台市にあるショッピングモール『イオン』にソーラー発電の専門店を出店。京セラのフランチャイズという形で運営を始めた。工務店の中でソーラー発電も取り扱えるということではなく、敢えて興味のある人に振り向いてもらえるよう『専門店』の形をとった。

「出展エリアは仙台の北部。お客さんは訪問販売で突然やってくる業者よりも、自分のタイミングで店舗に足を運び、きちんと吟味して買いたいという人が多かったんです。そういうお客様に対してご提案するのに専門店の形はメリットとなり、4、5年前から需要が徐々に増え、特に震災後はエネルギー関連に興味を示す人が急増したこともあって来客数もかなり伸びました。」

それでも出店当時はソーラーの専門店は他にはなく、需要もほとんどなかった。注文住宅の受注とはまた違った世界に試行錯誤する日々が当面は続いたという。

「展示場やショールームで待っていればお客様がきてくれるという感覚の強い住宅の世界と違って、ソーラー発電は黙っていたら誰も興味を示さない、存在すら知らない人が多い時期でした。そんな中での試行錯誤の経験は今でも生かされていると思います。」


「あったかい家」地域とのつながり

創業以来、菅原工務店が他社に先駆けて取り組んできた『あったかい家』だが、住宅スペックの全体的な向上により今や差別化にはならなくなってきたと菅原社長は語る。そこで、同社では創業以来続けてきたOBとの関係や地域貢献活動に力を注いでいる。例えば、OB客を招いての感謝祭を兼ねた大バーベキュー大会や、地域の小中学生に向けた職場体験の協力、ショールームを一般解放して行うカルチャー教室等、その活動は多岐にわたる。

「地元で長く企業活動を続けさせてもらっていれば、いつかは地域貢献の役割をはたさなくてはいけない時が来ると思うんです。創業社長の代では、とにかくいい家を追求し、会社自体も大きくするということに注力してきました。私の代では、OBのお客様や地域の方々と自然にふれあえる仕組みにより親しまれる地元ブランドを目指し、末永く喜んで頂ける存在になれるよう努めていきたいと思っています。」

住宅のスペックとしては、地元で常に他社に先駆けた最先端の技術と高性能を追求しながら、一方では非常にアナログな人と人のつながりや、絆を大切にするという両方のベクトルに向かって菅原工務店は邁進している。その2つの方向性ですでにある程度の実績を築いたと言える菅原社長に今後の展開を尋ねてみた。

「今後は仙台エリア等に進出することも考えてもう少しコンパクトな核家族向けの商品展開もしていきたいです。暖房システムや省エネ換気のシステム等もようやく出そろった感じがあるので、自分たちがいいと思う家を商品として打ち出したいですね。また、住宅に求められる性能の基準値が年々高度化していく中で、お客様の予算の中で、性能も質感も落とさず建てるという問題をクリアするために、家自体や部屋の大きさをやや抑えて、その分、質感を高めたり、設備機器に予算をかけたりという家づくりも試験的に行っています。」