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1.青崎・青崎浦……大崎市田尻小塩

投稿日:2024.04.22

旧田尻町は、古代城柵の一つ新田柵にいたのさくがあったことで知られ、多賀城創建時の瓦を焼いた木戸瓦窯跡もあり、街のあちこちで遺跡が確認されている興味深い地である。

   

その街の小塩おしお地区に「青崎・青崎浦」という地名がある。青色については、殆どの人がブルーを思い、空の色・海や川・水の色を思い浮かべるであろう。

   

しかし、信号のアオはどうであろうか。また、名馬などをアオと呼び、女性の美しい髪をミドリノクロカミと呼ぶこともある。

   

これは、古代人の色に対する思いが関係している。青とつく地は草の茂る一帯や低湿地だったことを伝える青生(美里町)などの地名がある。小塩の青崎・青崎浦の地も、古代からしばらくは低湿地や湖沼の広がる地に面していた。もちろん川の流れもあったと思う。そうした地に山や陸地が突き出ている地形なので「崎」とつき、「浦」は水辺に位置していたことを伝えている。

   

百々川に面して突き出ている青崎の地形

では、ここの「アオ」はどんな意味で付けられたのであろうか。今と違い古代の色は、「白・黒・赤・青」の四色だけだった。黒は太陽が沈んだ様子から「暗い・暮れる」が黒に変化し、太陽が昇り「明るい」ことから赤が生まれたという。またはっきりわからない、漠然としている様子が「淡い」ということで青が生まれ、はっきりと見えることから「知る・しるす」の意味で白が生まれた。私たちの知っている色の考えでは、黒の反対は白と思いがちだが少し違うようである。

   

ここでは、漠然として様子が淡いというのが青の地名につながる。古代の青は、淡い黄色から黒の手前までの濃紺や群青色なども青であった。

   

淡い青にはクリーム色の薄い色も入る。人は亡くなるとその淡い世界へ向かう。生前では全てが鮮明に見えた世界が亡くなると見えなくなり、薄ぼんやりとした淡い世界へ行くと考えられていたようだ。遺骸はそうした淡い所へ葬られ、青の世界は冥界への入り口であった。そのような埋葬に関わる地に「青」の地名が残されていることが多い。

人の葬りには、火葬・土葬・水葬・鳥葬・風葬・散骨などがあるが、地名が付けられた古代には樹木葬は無かったかもしれない。ここは水辺に突き出た地であるから水葬も考えられそうである。亡骸なきがらをそっと水に浸し、その後、おこつだけを埋葬したのかもしれない。昔からこのような葬りの地にはランバと呼ばれる墓地があったが、現在の青崎にも青崎霊園がある。

   

青崎エリアの外れに青崎霊園がある

お話しする人

太宰幸子

日本地名研究所理事、宮城県地名研究会会長、東北アイヌ語地名研究会会長

 

このコラムは、弊社発行の「工務店ミュージアム 学びのコラム(2024年4月号)」に掲載したものです。